霊能者 スピリチュアルカウンセラー加藤眞澄のブログ

by dimension-shin

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時のながれ

人が亡くなって強い思いを残したときに思う心は残り、体は「無い」ということになります。

「そうなると思うことだけが時の流れを越えて居残る」「居座る」ようなもので、黙っていたらその思いが風化されるのならよいけれど、その思いを生きている人につなげて行こうとすることもあります。

これが世のため人のために動かそうとするならよいのですが、逆に人を使って勝手な欲がらみの思いを果たしていこうとする霊もいます。


例えば「自分だけがつらい思いをしたのだから皆が敵だ!」など「思いだけが残る」「それも過去の時間のまま残るわけですから」こういう霊の意識にとり憑かれると後ろ向きになりやすい。


落ちこむと過去の嫌な事ばかりが頭の中に浮かんでくる事もあり際限なく過去を責め続けてしまわないように「時は流れている」ことを忘れずに、マイナス意識に心を奪われないように。


生きる人はプラス思考と、時間の中で進んでいかなければなりませんから過去にばかり捉われたり、縛られたりはしていられません。よき未来のために。

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by dimension-shin | 2007-09-13 14:48 | 精神世界 | Comments(3)

背負い込む


心配事が解決されたときに胸が軽くなり、肩の荷がおりたようだと感じたことはありませんか?

悩みごとも苦労も背負いこむと表現されることがありますが、それは胸が重苦しくなったりと量れる重さとは違いますが、悩みごとを抱えているときにも精神的に気持ちの重さが増してくることはあります。

普通は一つひとつの問題が解決されていくと身も心も軽くなっていくものですが、「霊的な影響を受けているときには特別な悩みを抱えていなくても心の重さや肩や体の重さを感じる方もいます」。

そういう現象を体験された方でなくては理解しづらいかも知れませんが、霊的問題を背負いこむように重さを感じられていることもあります。


ある方のお電話をいただいた瞬間に体の重さを感じることもあります。


ものすごく重いものを背負い込んでいるように感じ重い石を乗せられたようにズシンと伝わってくることもあります。

「霊」「お化け」を背負っていると思われることもあるようですが、視かたによってはそういうこともありますが、霊の思いを背負い込んでいるのです。


悩みごとを抱えているときにも、心も体も重くなったように感じられるように、「霊」の思いを背負いこんでしまう場合にもこのような状態を引き起こしてきます。


背負い込んだら背負い投げというわけにはいかないですが、そのくらいの気迫は必要です。


自身の気迫が祓う力でもあります。
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by dimension-shin | 2007-09-12 11:38 | 霊現象 | Comments(1)

悲しみを喜びに変えて


ゆっくりでいいからそうしてみませんか?

幸せな時代のはずなのに、人生に悲しんでいる。 

人と比べたらきりがない、人と同じでもつまらない。

人よりグレードが高くても満足しない。満足したとたんに次のことに
悲しいと感じることは「楽しい」を知っているからです。
a0097419_11142681.jpgつらいと思うのも「楽しいを知っている」からこそです。

死んだほうがましだと思うときは、「生きたい」気持ちの裏がえしです。

人が笑っているから自分よりは楽しいのだろうと思うのは、「楽しいを知っているからその想像ができるのです」から。

悲しみを喜びに変えるためには、深い悲しみが人生に与えてくれたものをもう一度見直して、人としての意識だけでとらわれないで、スピリチュアルな自分も内面にいることを忘れることなく。

見るもの、聞くもの、とらえる角度により伝え方が大幅に変化してくる情報に惑わされ流される事なく、今ここにいる自分を受け止めて心で抱きしめて。

悲しいとき、つらいとき誰かに何かを求めたくなるけれど、誰かに何かをして助けてあげることで自分も楽になるときもあるのですよ



   人のことを悪く言ってもキリがない
   人のせいにしてもキリがない
   自分を責めてもキリがない
   どれもが自分を不幸にするばかり

   人のおかげで自分も成長できる 
   人が自分を育ててくれる、
   助けたら助けてくれる

   恩を着せたら疎まれる
   着せる恩など意味がない

   ほめてもほめられても嬉しい
   笑顔を向ければ丸くなる

   悲しみを経験したら喜びの深さがわかる
   人の悲しみをやさしい心で受け入れて
   「でも」まずは自分から

 
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by dimension-shin | 2007-09-11 11:12 | 矛盾 | Comments(4)

言葉一つ

街を歩いているときに少し狭い道路などで、すれ違うときに同じほうに体をよせてしまい互いに行く先をふさいでしまう事ってたまにありますが、それが2、3度も同じほうへよけあってしまったりしませんか?

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そんなときに、どちらも悪いわけでもないけれど「すみません」「失礼しました」と言えると、相手もほとんどの人は「こちらこそ」となるでしょうし、互いに笑顔が出るかもしれません、少なくとも怒る事はないですよね。


先日、新宿へ出たときにこれとは逆の光景をみました。

男性同士がすれ違いざまに少しぶつかったらしくて「ちぇっ!」と言ったとたんもう一人の男性が「なんだよ!」っと大声を上げていました。

一人の男性のほうが足早に去って行ってしまいましたから、それ以上のトラブルにはならなかったものの、言葉一つでも人の心は左右されるものではないでしょうか。

言葉ケチにならないように。

嬉しい言葉は精神的にも大きな贈り物になるはずです。わたしは気どった言葉も使えませんけれど、ガサツな言葉でも思いやりが込められていたら通じると信じています。

いくらきれいな言葉でも心が入らなければ「言霊」はつながっていかないのではないでしょうか。美しい言葉は素敵です。


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by dimension-shin | 2007-09-09 22:52 | 霊的な日常 | Comments(2)

周囲はいつも自分の鏡

おだやかに過ごしたいと思う日でも、学校や職場で「おはよう」の一言が返ってこなかったりしただけで、その日の気持ちがしぼんでしまうことがあります。

例えばそれがきっかけですべてに勢いがなくなるようにデリケートな心の人はつらいのです。
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デリケートな感受性を持って生まれたことを知ったのなら、そのときから少しずつ身のまわりに起こることのとらえ方を変えて行くことが必要ではないかと思います。

出合う人の感情や感覚にとても敏感に左右されやすく、または感覚を受けてしまうのであればなおさらに、どのように落ち着かせていかなければならないのか対処するしかありません。

誰とも会わないようにするのは反対です。自分とだけ向き合う修行は大変です。苦しいです。

答えも出しにくいです。答えは自らが決断する事が鉄則ですが、人がいてくれるから、人の良いところ、悪いところなどいろんな側面をみられてこそ、自分に照らし合わせて修正できるのではないでしょうか。


デリケートな人は特別に敏感な神経と豊かな感情をもたらされているはずですから、気づくのも早いです。そのために何故いつも自分だけがこのような場面と遭遇するのか疑問も出ます。無視をすることはよけいに気になりますよね。

周囲の状況はいつもあなたへのヒントでもあり、メッセージが込められています。無視をするのも受け止めるのも自由ですが、あなたに何かを教えてくれます

例えば電車内で「見苦しい態度や服装をしていたらそうはなりたくないと思えます」「快く自然にご年配の方に席を譲る人を見るとそうしようと思える」など・・・・・。

「自分だけがイヤな目でみつめられることもあるかもしれません。

霊的なものが視ているようなものですから、それこそつられて行かないように、自身の呼吸に集中していくことです。

自分に「ほっとして」あげてはいかがでしょうか。


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by dimension-shin | 2007-09-08 16:34 | 霊的な日常 | Comments(0)

虐待


最近のご相談で気になるのは、自分の子供を虐待してしまう、もしくは子供さんを叱っていると必要以上に叱りつけてしまうことがあるという内容も増えてきています。

巷では突然切れる大人や、精神的に不安定な人が増えている時代です。

文明社会で生活するための精神力と、物質とお金に対する価値観の激しい変化に順応できなくなっていることも原因だと思いますが、虐待してしまうのは親が親の役目を理解しきっていない部分もあるようです。

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大人は子供を育てながら共に、自分も育てばよいのですが、画一化され型にはめられた教育や社会生活のせいか、精神的に柔軟性が失われている気がします。


虐待や必要以上の叱責は、親も自分自身が苦しくて仕方がないのです。肝要に子供さんを見守ることが出来ずに「感情を」さらけ出してしまうのです。親子とも苦しくて悲しいですね。


苦しみの感情に霊的なものが余計に入り込んでしまうこともありますから、ご自分の心を痛めつけることよりも、まず自分も子供さんも責めないように、怒りの刃をおさめていくように変化されないとなりません。


精神的な心を見つめる時間をつくり、お子さんと静かな安らぐところへ出かけてみることも一つの方法です。虐待を受けてしまうお子さんの心は傷だらけになってしまうことを忘れないでください。

そして虐待を受けて悩みを抱えている人は、大人も子供もいつも自分を「ぎりぎり」のところまで追い込んでしまうことが多いです。


虐待を受ける側は、力では相手に太刀打ちできないですから、「ガマン、ガマン」の繰り返しでボロボロです。身も心もだけではなく、より内面である霊体さえ悲しく傷ついていることすらあります。

我慢強さと自身を責める気持ちが同居してしまい、頭ではこんな状態で我慢しても仕方がないのは理解していてもやはり自分が悪いのかな?と心が張り裂けそうな思いにかられてしまいます。


霊的にはまずご自分の心の位置を戻し、冷静に相手と(たとえご家族でも)向き合っていかれるようにすることが先決です。そこに因縁や霊障が絡んでいることも見逃さないようにするのも必要だと考えます。苦しみから心が癒されていくためにも。

        
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by dimension-shin | 2007-09-06 10:05 | 霊的な日常 | Comments(4)

お墓のこと

代々にわたって何百年も続いてお墓を守られているところは少なくなりました。

枝分かれするように分家されていきますからやむを得ませんが、近頃では祖父母のお墓も知りませんという人もいます。

お墓がなければ不幸になるとは思いませんが、せめて祖父母のことくらいはご両親がお子さん方に、お話しをするくらいのことはしないといけません。

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事情があるにせよわかる範囲でも、生みの親や先祖のことを次の世代に話をして、だから自分達が生まれてきていることの実感を伝えて、ご存知ならご先祖のお墓参りもご一緒に連れていくべきです。

お墓への認識は変化してはいますから、自分が亡くなってもお墓はいらないという人も増えています。

確かに大層立派なお墓があれば思いも残さずに成仏できるかというと、それは違います。何もなくても、潔く人生を全うできたのならお墓の「ある、なし」は関係ありません。


それならご先祖のお墓があり、場所もわかっているのならお参りに行かれたほうが良いというのと矛盾している!と思うでしょうが、現在まで守られてきたお墓というのは、それだけご先祖の思いが代々に渡って、大切に継いで守ってこられた意味があるのです。


それは先祖を供養して行かなければいけない思いと、先祖が作った不幸ごと(身内でも、縁ある人たちにも)への償いや、霊や魂の世界への心の窓口にもなってきた場所でもあるからです。そこには守り続けてきた先祖の思いが溢れています。


その墓所を継ぐとか継がないの問題ではなく、縁ある家に生まれてきたことにお参りすることは先祖も喜んで迎えてくれます。

時代は急に変わるのではなく、過去もできる限り大切にされていくべきではないでしょうか。

もし墓所がわからなくても、ご先祖に思いを馳せることも供養のひとつです。しあわせは物だけでは決して得ることはできませんから。

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by dimension-shin | 2007-09-05 09:54 | 霊的な日常 | Comments(0)

祖母が赤ちゃんを


まだ生後3ヵ月の赤ちゃんを実の祖母が殺したという。

脳に障害があって先を心配しての行為だと報道されていましたが、障害というのは五体満足を基準としての判断でしょうが、このお子さんも生きようとしているのに親でも許されない、ましてや祖母の独断で命を絶つことは許されないことです。

ご家族も同居でもっと協力が出来たはずですが、生まれて間もない無垢な赤ちゃんを育てることもしないうちに身勝手な判断です。

祖母がお孫さんを不憫に思う気持ちの中に一瞬の「魔に魅入られた」のです。

少しでも人と違うと基準から外れているからと、見た目で判断されるべきではありません。

障害児でもかなりケアしてくれるシステムもありますし、悲観する事はありません。
このご家族の人たちは生涯「愛情を」学ぶことを精神的に科せられていくのではないでしょうか。

ご相談のお客様の中にも、障害をもつお子さんがおられる方もいますが、とても可愛がられて、

「この子がいるから生きている事が楽しい!生まれたときは悩みましたが、命はすべて同じだし、障害を持つ子を授かったことで人生の視野も変わり、精神的なことも大切に考えるようになりました」と言われていた方がいました。
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また生まれてから5才まで、病院から出られないお子さんを持たれた若いご夫婦が、毎日毎日、交代で病院に付き添い愛情をそそぎ病院の方々にも愛され、悲しいけれど5才で亡くなったお子さんもいます。


寝たきりで体はとても小さく、言葉も発することはありませんでしたが、このお子さんは、沢山たくさん愛情を感じて受け止めていくことはできたと思います。

亡くなってしばらくしてからご両親ともお会いしましたが、亡くなったお子さんを霊査したときに、とても幸せ感が伝わってきました。

「愛情」は赤ちゃんにももちろん伝わるものです。
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by dimension-shin | 2007-09-04 14:49 | 霊的な日常 | Comments(0)

視野を広げて

3次元で生きるためには、誰もがいま体を持っています。

小柄な人、大柄な人、個性はさまざまですけれど、そして目で見ることはあまりありませんが、霊体も備えているのです。どなたにも霊体はあります。


むしろ想像もつかないほどに自由な霊体だったはずなのが、体を持たされて自由に身動きがとりづらい、社会では制約も多くたくさんの決められたルールも守らなくてはならないですから、霊体からいうなら「着ぐるみ」を身にまとって動いているような感じです。

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それでもこの規約の多い条件の中で上手に生きていくことを考えて、「少しでも楽しく、人も自分も傷つけることがないように」、なにより自身の心が解放されてゆきますように。

大切に生きることができないと苦しさも倍増してしまいます。

最近は「いじめ」問題が多くあります。学校のいじめで取り上げられていたのが、社会人の会社の内部でも、今回は相撲の世界でも「いじめ」だとかいわれます。


まずは子供の社会での「いじめ」を流行り言葉にして大人の社会でも「いじめ」ですと取り上げることはどうかと思います。

こどもも「大人でもいじめなんだ。いじめの構造は同じなんだ。いじめは終わらないんだ」という意識を根づかせてしまうかもしれません。

そしてマスコミの報道によってエスカレートしていることも多々あるのではないのでしょうか。


大人ならまだ自身の行く道を修正する事や、人付き合いやあしらい方、お酒でも飲んで切り換えようかと、考え方次第でも変化できます。


けれど子供さんの世界は親と友達と学校がすべての社会でもあるのですからもう少し視野を広げた見方をしてあげていかなくてはならない、学校と成績がすべてよ!何で学校に行かないの!「いじめ」なら先生が悪い学校が悪いとだけ、判断されるのはどうかと思います。


すべてを企画にあてはめていこうとすることも問題と思います。

先ほどの「着ぐるみ」の話に戻りますが、お子さんは着ぐるみで生まれてきてまだ日も浅いのですから、上手に自分をコントロールできません。

押し付けではなく、本心を話せるような時間をたくさん作ってあげて、世の中の選択肢はたくさんあるのと、物だけにこだわらずに精神的に大切にバランスよく生きることをたくさん話してあげてください。

以前お子さんの「いじめ」問題でご相談を受けたことがありましたが、親御さんの方に霊的問題があったことも多いです。

親の安定感の元では、安心して育つ事ができます。精神性を豊にしてあげなくてはいけません。最近のお子さんをみていると、とても高いレベルの「魂」をもっています。

ただし、人の社会の乱れにどうにも順応しきれていない!むしろ苦しんでいることさえあるのです。「心を育てる時代」「精神的な時代」が次のしあわせを運んでくれるのではないでしょうか。

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by dimension-shin | 2007-09-04 10:48 | 霊的な日常 | Comments(0)

霊能者

霊感の存在は、感情意識の延長線上に組み込まれていると感じます。

良い事も悪い事も、霊的に視ていくと、良いことは当然のように心が幸せになりますが、例えば因縁的な問題を霊査していると、感情や感覚に伝わってくるように、霊の意識が伝わってくるのです。

「五感とか」かっこいいことをいうよりも、霊を感情でとらえてつかんでいるのです。

だから霊に憑かれて、本当に自分自身の気持ちのコントロールが出来なくなる人がいるのです。それが霊現象でもあります。

霊能者も感情がとても左右されやすいので常に、自身の感覚のコントロールを心がけていかなければなりません。

悲しみの意識に捉われている「霊」を視るときには感情をとおしてそれが伝わります。怒りを抱えている「霊」を視るときには同じく伝わります。


事前にそういう感情が伝わってくることが多いですが、しばらくその感情のエネルギーが離れないこともあります。

「霊に」影響を受けてどうしようもなくなってしまう人もいます。

金魚が2匹くらいしか飼えないような水槽に、10匹の金魚は飼うことが出来ないようなもので、「圧倒的に多数の飽和状態の霊がいる」ようなものです。

金魚(霊)を少なくするか、水槽(霊に対するとらえかた)そのものを大きく変えていくか、問題点を探っていかなければなりません。

霊能者は、常に自分とご相談をした方の影響かを振り分けていくことができないと、自身もバランスを失ってしまい、イライラしてしまうことにもなります。

内的にハードな仕事ですから「視える」「当てる」というレベルから、相談者と一時的に感覚を同化させなければならないし、その際に自身が霊の意識に取り込まれるようなことはあってはならないのです。


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by dimension-shin | 2007-09-04 10:41 | 霊的な日常 | Comments(0)