霊能者 スピリチュアルカウンセラー加藤眞澄のブログ

by dimension-shin

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たまに


先日うわさに聞いていた「岡本太郎美術館」に出かけてみました。

小田急線向ヶ丘遊園駅から徒歩17分、生田緑地内にとけあう雰囲気の自然さとモダンさで美術館はありました。

岡本太郎さんは「芸術は爆発だ~!」の一言がとても印象に残っていましたが、作品を集中して観る機会がなかったのと、印象が強すぎて気持ちが引けていたのです。


勝手に個性が強すぎるのではないかと思っていました、しかし美術館の作品を観ていると、純粋で無邪気で真があり、やさしさが伝わってきました。包み込むというよりも常に何かとリンクされてくるような世界観でしたが、作品では「河童」が、絵画では「赤」が印象に残ってきました。

美術館の照明も作品をより表現する役を担っているようでした。


当日はレクチャールームで写真家の「田沼武能」氏の岡本太郎氏が撮られたの写真の思い出話を含む講演会も聞くことができましたが、岡本太郎さんは写真家とは違う撮り方だそうで、感じたままにシャッターを切るような捉え方で、しかもときにはトリミングも半分以上されることもあるらしい。「写真家では考えられないことでした」と語っていらっしゃいました。やはり芸術家なのですね。

講演会の最後に田沼氏の奥様が買っていらしたとのことで、岡本太郎さんがお好きだった「浅草のおせんべい」を参加者に一枚ずつ配っていただいた。

皆さんその場で「バリッ!ボリッ!バリッ!」「あまり厚みはないけれど歯ごたえあり」太郎さんはかなり堅焼きせんべいがお好きなようでした。ごちそうさまです。


岡本太郎さんの残された言葉のひとつに「自分は自分の父であり、自分の子供でもある」という言葉がありましたが、精神世界をしっかりもっていらした方なのだと感銘しました。

当日は時間がなくて見学できませんでしたが、生田緑地内には「古民家園」や「プラネタリウム」などもあり、一日中楽しめるようなところでした。


あちらこちらで犬のお散歩も多いところで、この日はお散歩中の超大型犬の「グレートデン」に出会うこともできて頭を撫ぜさせていただいたり、ちょっと芸術とおせんべいと犬に出会えた秋の日でした。


写真が撮れなくてごめんなさい

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by dimension-shin | 2007-10-23 16:16 | Comments(4)

神だのみ

苦しいときにはお願いをすることも、気持ちをゆだねることもあっていいと思うけれども、何でもかんでもご利益主義にならないほうが精神的に「楽」ではないでしょうか。「努力をして行きますから見守って力をかしてください」というように・・・・・・・。

私はスピリチュアルな仕事に入る以前に、ある神社へお参りにでかけたとき、地元の方に 

「ここの神社はご利益があるからね、会社の経営不振で始めてここの神社にお参りに来た家族が、どん底の会社から立ち直った、会社がドンドン業績も良くなって、その会社の社長が毎年お礼参りに来ているよ」 

と聞き、3年続けてお参りをしたときに、「神社が好きでお参りに来ているのか?それともご利益があるからと聞いたから毎年来ているのか?」 と思ったことがあります。


ただご利益だのみで、これ以上続けていくと、行かない年にすごく気になってしまい、不安要素が強くなる気がして、続けていくことはやめたこともあります。ご利益やお願いだけに気持ちを向けてしまうと身動きがとりづらいこともありますからこのことは、よい勉強になりました。

神社などに行くことはよいことですが、できるだけお願いよりも、「これだけ人生勉強をしてきました。これからもよろしくお願いします」。

と神様に手を合わせることは、自分への反映でもありますから、生きている意味としあわせをつかんでいくための方法のひとつだと思います。

              
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by dimension-shin | 2007-10-20 15:54 | 霊的な日常 | Comments(5)

人も心も魂も常に流動していますから、「神界」といわれる世界をときどき垣間みて(感じとって)いることもあるのではないでしょうか。

「霊」を垣間みることも、同じ空間に通常では見えない世界でありながら、この3次元の世界から4次元5次元など異次元が巧妙に隠されているともいわれます。

が、気づいていないほんの瞬間に異次元とコンタクトしていることも多々あるのではないでしょうか。

「思い」の世界や「霊的」な世界は4次元空間に存在しているといわれます。

神界の世界になると定かなことではありませんが、それ以上の次元の存在であるといえると思います。
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神を信じたらお金が入るとか、拝んだら何でも願いごとがかなうということでもなく、神に対して手を合わせたり、心を合わせようとする思いが、純粋に自分自身に内在する魂の光とつながって、生きるための力と、内側の感受力がエネルギーの補給をしていくようなことであると思います。

見えないけれど、ときどきは「魂のエネルギーの補給」のためにも神社にでかけて、心を落ち着かせてくることもよいですよ。

信仰はそれぞれですから行かれるところも違うかもしれませんが、真理は結ばれていると信じています。

宗教に限らなくても、自然にふれあう機会をつくることでも充分ですが、「人としてすべてのつながりによって、生かされていることを知って慢心しないように」 大切なひとときをつくることで心身ともに開放感を得られていくこともできます。

神界も霊界も「垣間みるというのは、見ることではなく感じとっていること」 だと思います。自分でもすごく良い発想や、「生きるために支えてくれるみえない存在があること」 を受け取れるのではないでしょうか。



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by dimension-shin | 2007-10-18 17:21 | 精神世界 | Comments(2)

思うようにはいかない


自分が思うように都合よく物事は運ばないことが多いです。

まず人生は予想外のことばかりの連続ではないでしょうか。その予想外のことが起きると驚きと戸惑いで立ち往生してしまう事にもなってしまいます。
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人一倍に感受性が強い場合には起こる出来事に対しての反応が傷つきやすく精神的なダメージを受けやすくなってしまうこともあります。


戸惑って止まってしまう。そのため「感情が内向」してしまうような感覚で「喜怒哀楽」が希薄になっていくのです。自分の身のまわりで起こったことが、すべて憂鬱になってくるし、ダメだダメだという思いだけが先行してしまいます。


いまの生活が問題ならばすべてから離れれば良いかというと、自分自身が不安要素をクリアできないことには、精神的に問題解決はされていかないのです。すべてから逃げる事になってしまうだけです。


人生の中で予想外のことが起きても、生きるための一部として、受け入れることが大切ですし、例えそれがマイナスなことだとしても、「でもどうすれば早く解決できるか」答えはその場で出なくても、哀れんで嘆いているよりも、できることから、それこそ目の前の必要なことから一歩ずつ進むことです。


仮に「外へ出るためには、立ち上がって玄関に行って、靴を履いてドアを開けて」という動作が必要なように「いま何ができるか、そして何から始めるか」小さなことから考えるだけです

楽しく感じられないことのもう一つの要因は霊的に背負い込んでしまう事があります。ただそれもすべての要因ではありませんが、気持ちのひずみとドンドン連動してしまう事もあります。


できる限り予想外の事柄を受け入れて、楽しんでいく気持ちに切り換えてみることで心の景色も変わるのではないでしょうか。


自分にとって負担になる予想外の出来事はたくさん訪れますが、焦らずに自分なりの自然体で動く努力をするしかありません。いまできること、どこかで聞いたセリフ「小さなことからコツコツと」しあわせひとつ。



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by dimension-shin | 2007-10-16 15:04 | 霊的な日常 | Comments(3)

もたらされてきた幸運

どこかにあるしあわせ

どこにいけば会えるのか

誰がしあわせをくれるのか

しあわせの定義は人それぞれ

お金持ち! 健康! 言う事を全部聞いてくれる人! よい仕事!
絵に描いたような家族! 素晴らしい容姿! 恋人! などなど。

それらがもしすべて叶ったなら、「しあわせ」 かもしれません。a0097419_15582655.jpg

しかし、いままでにお会いした方のお一人に、これらのほとんどを兼ね備えている方がおられましたが、「確かに自分のまわりに不満はありませんが、しあわせも感じられない」 という方がいました。

友人にも「どこが気に入らなくて幸福感がないの?」 といわれたそうです。

悲しいわけではないけれど、「充実感もなく生きているだけのようです」 というご相談を受けたことがありました。

しあわせに対しての感覚麻痺かなとも思いましたが、お金持ちで不自由がなくても、そんなこととは関係なく、むしろこの方の心と魂の感覚がどこか取り残されてしまっているような、淋しげなものを感じました。前世なども関わっていましたが、いま大事なのはこの方が与えられた宿命の中で、「どう生きるか!」 が大切なことです。

信じていない、信じきれていない身の置き所のなさを感じました。笑顔もまったくないのです。

何を信じるにも「まずは自分から信じられなければ始まりません」 はじめの一歩。


この方は、周りの状況に振りまわされるだけではなく、「自分の心にもっと信頼と愛情を傾ける」ことに注意を向けていくことで、徐々に微笑みから笑顔に変化していきましたが、「目覚めて窓を開けて朝の空気を吸い込むこともしあわせなのだ」 思うようになったそうです。


しあわせが舞い込んでくるのは心から感謝があってこそではないでしょうか。

右から左にしあわせを受け流すことなく、些細なことにもしあわせさがし。



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by dimension-shin | 2007-10-09 15:58 | 霊的な日常 | Comments(2)

生まれ変わりについて 


いま生きている、この「体と心」でそっくりそのままに生まれ変わりということではありません。

この一つの人生にはこの「心と体」だけです。

でもこの一生を終わって、「死」をむかえて体という肉体が消えていくと霊体が残ります。

その霊体もやがて脱ぎ捨てる時期が来ると、「魂」が残されて、魂の本質の世界に戻ります。

分けて考えていくとそういうことになりますが、すべてが一本の糸のように、つながり続けています。

魂の本質というのは、次元の違う世界で捉えるしかありませんが、自分が戻るのは自分が生み出されてきた「魂のふるさと、親元である精神的な世界の空間」でもあるのではないかと思います。

一つの人生を終えた魂が親元に戻り、人生の中で「見て、学んで、感じとることにより」 培ったすべての成長を蓄えていきます。
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ですから、前世とか過去世に関して「魂の世界から」は、それぞれが一部分の魂をたずさえて、いくつもの人生を歩み、体験していくことになります。


そのため、極端なことをいいますと、同じ魂から生まれ変わっても、もしかしたら前世でとても歌が上手くても、次の人生では音痴かもしれないということです。


逆に前世で歌が好きで上手だったから、この人生で歌って人を感動させる役目をもった人もいることになります。

それは違う人生ではありますが、歌の上手いという特徴の一部分が強く働きかけているのです。

体で例えるならば、何十兆個もの細胞の一つがその特徴をもたらしているように、ほんの一部が前世や過去生とつながりをもたらされています。


それが大きく関わってくる人も、そうでない人もおられると思います。

先ほどの話に戻しますと、それでも、「歌で人を感動させる以外での、苦労もまた人生につけ加えてきています」から、それぞれの試練を乗り越えていかなくてはなりません。


多くの場合、良いところは少ししか、もたらされてきていません。足りないところは人生でできる限り学んできなさいというようなものです。


魂の世界からいいますと、「生まれ変わりはあります」

けれどこの姿をもつ同じ姿ではありませんから、二度とないこの一生を「宝」にして、日々よき明日に向かわれますように。




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by dimension-shin | 2007-10-07 20:40 | 精神世界 | Comments(1)
生まれてくる場所は、過去からのつながりのもとで決められてくると思います。

「縁が深ければ、前世や過去世にかかわりの強かったところ」 に生まれてくるでしょうし、少なくとも「ここに」生まれてこなければならない理由は、魂のせ界をたどればあきらかではないかと思えます。
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そして生まれたからには、「住むところ」です。

 ほとんどの場合、幼いときには親の住むところが、共に住むところになるわけです。

けれども大人になって、独立してくると、今度は自分の 「縁」 そのものです。

もちろんしがらみはありますが、それも含めて自身の縁でもあります。

家を守り、同じところに住む人もいますし、仕事でどうしても別のところに何度か移る人もいます。

またはせっかく越したのに霊的現象などがあると特にそうなのですが、引越してしまうケースもあります。


そして特別に嫌なことがなくても、逃げをとることでもなく、「次の何か?」 を求めて住むところを変えていく人もいます。

見えない何かに心が向けられ引っ張られているかもしれない。

冒険心も強いかもしれない。

それならば、こういう考えを持つとよいかもしれません。

「新たな自分を見出したくてそうしている」 

「過去世も含めた自分の魂の過去に、そしてこれから出合う人や、ことがらのすべてに感謝をしていくためにそこへいく」 

というようにスピリチュアルな感性で考えると、より奥行きが広がるのではないでしょうか。


そして、よき出会いと感謝と一期一会を大切に、

人にも空にも大地へも「心癒して癒されて」

心と魂がいつでもコラボしていることがしあわせです。


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by dimension-shin | 2007-10-03 16:26 | 霊的な日常 | Comments(1)

子供の声

デパートにでかけたときに、子供用品のあたりで4才くらいの男の子が泣いていた

「ものすごく大きな声で」「フロア中にトドロキ渡る泣き声で皆振り返る!

耳をツンザクような泣き声に何を言っているのかわからない」

「アッわかった!おかあさ~ん」 と言ってるが涙と鼻みず声で「ウガァ~オゥざ~ん」になってしまっているのでした。

即座に店員さんが飛んできたが、よけいに声は大きくなるばかり、皆集まってくる。

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1分程してから、母親が戻って来たのです。皆が集まっているのに驚いた様子で、

「すみませんと申し訳なさそうにいいながら、男の子を抱きとめて、即座に子供さんも母親にしがみついた」

「泣き声も同時にピタッと止んだ」 静かに周囲の皆さんが解散した(私も)

この母親は子供用品のちょっとおもちゃがあるところでこの子を遊ばせている途中に、すぐ横にあるトイレに行ってたようです。


子供の泣き声は周波数も高いし、このように誰もが振り返るくらい声が響きます!

だからもし、親とはぐれても自分が一番訴えられる事は、泣いて叫んで

「自分はここにいるよ」

ということが子供の言葉でもあるのだと思います。一生懸命に訴えている。

遊んでいるときも「キャッキャッ~」と大きな声で自分がここにいることを無意識のうちに親に伝えているのですから、子供さんサイドからのコミュニケーションの証でもあります。

それを実の親が理解してあげられないことは悲しいことです。


子供さんは、体の具合が悪くても泣いて知らせますが、わが子を疎んじることがないように、言葉もままならない幼い子はいつも親の保護と愛情を感じとろうとしていているのです。大人以上に、心と魂の会話で自分をアピールし、また親と離れないために必死につなぎ求めているのです。

しあわせになるために

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by dimension-shin | 2007-10-02 11:38 | Comments(1)