霊能者 スピリチュアルカウンセラー加藤眞澄のブログ

by dimension-shin

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今年の終わりに

世の中の動きを正されようとする力が働くなら、「肉体的な社会」から「精神的な社会」中心に移り変わっていく時期です。
肉体的な社会と表現しているのは物質に対する意味で利益追求を必要範囲での利益保持にしていかなければならない。

探求心は失われることなく進行しますが、社会全体に変化がもたらされるには、個人や意識変化も徐々に修復されてきますから、人によっては精神的に追い込まれたようになったり、いままでに感じたことのない不安感におそわれるかもしれません。
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物質社会では「作っては変えて、作っては変えて」がされてきましたが、精神面での向上開発という時代にも見えない内面では、その動きの構築がスピードを増してきています。

その修正途中にバランスを崩してしまうことや、人によっては精神世界を先取りするがために、五感が鋭くさえて、「視える、感じる、聴こえる、予知、オーラなど」の能力が先行して現実世界と自分とのバランスを見失う人も出てきます。周囲と比べて突出した能力に迷う。

次にはその能力を仕事として霊能者、スピリチュアルなことに反映させていこうと思われる若い方も増えてきました。やりたい仕事をすることは自由ですが、こういう霊能の仕事はご自分が感じやすいから仕事をしたいというのは当然です。しかし一番大変なのは自分が感じやすいから相談の相手の方の状態もよくわかるわけです。

それだけ「受けて」しまうことにもなる。帰られたらすべて終わるのではなく、前後に自身がその波動を感じる事も見えない仕事のうちです。

マイナス意識が強い仕事を受けたときには、自分もマイナスを被るようなことになります。そういうときには一番の「弱点」が表面化してきますから、自分と常に向き合い自分の修正をし続けていかなくてはならないことも霊能者の仕事です。

今後は普通に能力を持つ人は自然に増えてきます。能力のバランスをとることのほうが大変かもしれません。

例えば物質的に、山ほどの洋服を見せられたときに、どれを選ぶか迷ってしまうように「あれはいい、これはダメ、ではどれがいいか悪いか自分で判断に迷う」ような、精神的葛藤が内面に生じてくることになります。

精神世界に時代が移り変わることは、これからしあわせのための「自分磨きの旅が心の中で訪れてくることになります」




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by dimension-shin | 2007-12-28 15:16 | 精神世界 | Comments(0)

金銭的な事

お金の貸し借りはむずかしいものです。ローン会社もありますが、個人や親族で貸し借りもしたりする人もいるでしょう。

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ある人が友人からお金を貸してと言われて何度か貸してあげたが、少ない金額で気軽に貸していたけれど、十分の一も戻ってこない(返してくれない)。そのうちに、またこの友人が「お金を貸して?」と言われたたときに、今まで貸した分も返してもらっていないから貸せないと言うと、「何よ!いままで貸してくれたのに、ケチ!」と言われたらしい。逆切れという言葉がぴったりですね。

お金を貸して、戻らなくて、今度は貸すことを断ったら怒られたのでは、たまったものではありません。

人にお金を借りつづける人は、慢性的に常識を超えてしまい、「貸さないほうが悪い!」という考え方になる場合もあります。

逆に平気で貸していると、貸せないときに「ごめんなさい」と言わなければならないように筋違いの言葉になってしまうのです。まるで貸す側が悪いことをしているような意識です。

しかし断るときはしっかり断らないと、借りたいほうはやさしく、弱気な人に近づいてきますから、毅然とはじめから断ることです。

アルコール依存症の人にお酒を差し出すことはしてはいけないのと同様に金銭面に対しても依存されてしまうことの怖さもあります。

もしくは貸すというのは「あげる」気でないとダメです。

再度ダメ出しですが、一度上げるとキリのない人もいることを忘れずに。「双方が低級霊に操られることにもなります」。




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by dimension-shin | 2007-12-28 15:04 | 霊的な日常 | Comments(0)

孤独で淋しい

一人で孤独で、淋しくて、人と過ごしていたいことってありますよね。

けれどもあまり淋しくて誰でもいいからそばにいて欲しいとなると話が違ってきます。

誰かと出会いたい、誰かに支えて欲しい、常に誰かを探したいと願っているときは自分を模索中でもありますが、淋しさのあまり誰かに心を求めすぎると自分でコントロールできないほど人に依存してしまうこともあるかもしれません。

男性でも女性でも一方的に支えてくれる人を求めようとしていくと、淋しさを相手にゆだねてしまい過ぎてしまうのではないでしょうか。もし恋人が人がそれを受け止められる人格ならよいけれど、受け止められないとすぐに嫌気をさして去っていく。

一人になって淋しすぎるために、また新たな恋をさがすことになります。

「淋しい一人と、心の温かさを知る一人」では大きく違います。
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互いに支えあうことは人としての重要な使命でもありますが、依存し過ぎてしまうと誰のための人生かわからなくなります。

霊的に視たときには「淋しく孤独な霊」を視せられることもありますが、淋しい人は自分自身で引き寄せている事もあるのです。

ご夫婦でもお互いに助け合うところはたくさんあってもお互いが精神的な自立ができていなければ良い生活を営むことが難しくなってしまいます。

大家族に囲まれていても、孤独で淋しさを押し殺している人もいます。
自分の心と霊性に温かい意識を向けていかれますように。



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by dimension-shin | 2007-12-28 14:59 | 霊的な日常 | Comments(2)

親子でも

兄弟でも、例えば親がどちらか一人だけを可愛がってしまうことがあります。人は同じではないですから多少のことはありえるかもしれませんが、あきらかに誰が見ても差別されていることもあります。

昔なら家を継ぐ長男は別格で大切にされた時代もありましたが、同じ親から生まれた兄弟姉妹でも、親がどうしてもどちらかの子を可愛がってしまうことがあります。

いつも「起こられ役」みたいになってしまい悩んでしまう方もいらっしゃると思います。

親からすると理由はあるのですけれど、たいていの場合には心配している子のほうを叱っています。
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表向きの理由は確かに納得できるところもあります。しかし同じ子供で、どちらも可愛いのに、一人の子にだけ冷たくしてしまうことを悩んでこられた母親がいました。

「これではいけないと思いながら、どうしても下の子(妹)ばかりを怒ったり冷たくしてしまう」 「特別悪い子ではないのに、下の子を見ているとイライラしたり不安になったり・・・・・」「本当に子供に申し訳なくて悩んでいます(泣)・・・・・・・・」と来られたのです。

「2人目の子育てにストレスもないですし、子供は好きで望んで生まれた大切な子なんです・・・・・」

この親子さんの状態を霊的に視ますと生まれてからの問題よりも、前世や過去世のつながりがそう感じさせるものになっているようです。

霊査していると過去の情景が浮かぶのは「過去世でも同じ親子として生きた時期があったようですが、お子さんが幼い時に生活の事情で養女に出した。生活が困窮していたのでそれしか方法がなかった」その感じが強く伝わってきました。

「もしそれが本当なら現世では親子が離れずに暮らしているのに、子供に冷たくしたり、イライラする必要はないはず」です。

しかし、この方のようにたとえ生まれ変わりはほんの一部分に過ぎなくても、過去の重圧とも言える悲しみが深すぎると現世において極端に過去の記憶に感情を支配されることもあるのです。そのためにこのお子さんがまた遠くに行ってしまうのではないかとハラハラした思いが、不安感と苛立ちを募らせてしまったようです。

このことがわかってからこの方は落ちついて子供さんと接することができ、安心感に満たされお子さんに不安感を持つ事もなくなったとのことです。

物事には霊的な世界のみえない理由も隠れていることもあります。

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by dimension-shin | 2007-12-20 14:34 | 矛盾 | Comments(0)

銃の乱射事件


銃の乱射は海外の事件では多く聞きますが、日本でも最近は拳銃の発砲も増えています。

今回の長崎県佐世保の銃乱射事件は犠牲で亡くなった2名のうち一人の方は同級生で、犯行のあったスポーツクラブに呼び出していたようです。

スポーツクラブのように人の出入りの多い場所で、犠牲になる人を増やしてしまう結果にもなったのは、もともとマイナスにものごとを考えてしまい、常に気持ちが晴れることもなく、そして何かにつけて人のせいにしていたのではないでしょうか。

徐々に気持ちを抑えられなくなってきたときに心が冷え切ってしまう。

犯行の最後も逃げるように自殺という終焉をむかえましたが、身勝手と言うのはこういうことです。

霊でも人の冷え切って冷たくなった心にとり憑いてくるものもいます。そうなると霊に操られて行動してしまい自分を失くした状態です。

ここで問題を霊のせいですと言いたいのではなく、人があたたかい心を失ってはいけないのです。

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まず自分自身を責めないで



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by dimension-shin | 2007-12-16 10:37 | Comments(0)

イライラする感情


若い人は感情が有り余るほど豊かで、表現力に戸惑っていることもあると思います。

豊かな感情を出しすぎると学校では校則で止められ、家庭では受け入れてもらえず、社会では通用せず!ということもあるでしょう。

自分を表現しようと模索している時期ですから、湧き出るような感情と受け止めてくれる人が少ない(友人しか理解してくれない!皆、模索中だから理解し合える同士でもあります)
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我がまま、未熟さ、嘘(嘘をつかれたり、許せなかったり)、落ちついて考えてみるとわかることも多いでしょうが、そのような隙間ともいえる感情に「霊的」なものが同調して入りこんでくることはありますが、理由もなくイライラする感情は、「霊」のせい! だけではないのです。

一人ならガマンできることも何人か集団になると歯止めがきかずに「いじめ」などに発展して、エスカレートしてしまう事もあります。

最近は大人が「突然キレる」事件もありますが、職場でも突然にキレる!らしい。

表面的には本人も気づいていないことが多いでしょうが、霊的に視ると憑きものがありますが、内的に見つめる時間をとっていたら避けられる問題ではなかったかな?というケースも結構ありました。

内的にというと宗教とか霊の世界に捉われがちですが、それだけではなく「禅」や「瞑想」など自分の呼吸を感じられて内面の自分を知るための時間のことです。

内面も考えずに、ストレスをためて、「だから買い物依存症です!」などと逃げをとっても苦しくなるばかりではないでしょうか。

そして感情を低級な霊に操られてしまうかもしれません。

イライラするときこそ自分の内面にあるスピリチュアルな感性に心を向けて、表の自分の言ったことや行動したことを見直してみる時間が一滴の清涼剤にもなるのではないでしょうか。



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by dimension-shin | 2007-12-15 10:11 | こころ | Comments(0)

夢の中で


これはある女性のみた夢の出来事です。a0097419_15332232.jpg

「忘れられない夢を見ました。知らないところですが家の中で探し物をしていて ある部屋を空けたら、真っ暗な中から突然何かやわらかくて暖かいものが、頭にぶつかり、それから口の中に入ってきて、私は思わずやわっと噛んでしまったのです。

口に含んだまま、(変ですけれど)電気のスイッチを探し、明かりをつけ、近くの玄関に吐き出してみると、それは真っ白なねずみでした。もう息をひきとっていました。ふと玄関の方へ目を移すと、その玄関には、白いウサギが、血を少し流して、こちらも息をしていません。

まだ生暖かいような雰囲気でした。触っていませんが。白いねずみさんは、私自身だと感じましたが、うさぎさんはわかりませんし夢の意味がいまひとつわかりません」



「そして、私が、どうして、あの汚い開かずの間のような部屋に白いねずみがいたのか?
そして、この動物たちをどうしたらいいのか悩んでいる場面で、夢は終わったのです。

不思議な夢だったので、はっきり覚えています。そして、そのときの私の口の中のねずみさんの感覚がまだ残っていて、時々、よみがえるのです」。



かなりリアルな夢ではありますが、口の中に入り吐き出した白いねずみはご本人も感じられたように自身の不必要になった霊的な思いの汚れが落ちてきたことの意味を「動物の死」であらわされています。


この方はウサギは自分ではないように感じられたようですが、ウサギは過去の霊的な自身をみせられたのです。スピリチュアルな思いの世界で過去のさまざまに受けた暴言、そして霊的に振りまわされてきた自身との決別をも表しています。

苦しい過去から自分らしい人生に徐々に変化されてくることを伝えています。
 

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by dimension-shin | 2007-12-13 15:33 | 夢・ゆめ | Comments(2)

霊と向き合うことは、肉体もなく霊界や魂の世界にも戻りきれていない「意識」とのコンタクトをしていくようなものです。私の場合は、霊という存在そのものを視ようとかコンタクトをしていくことよりも、まずご相談に来られた方の、心の状態を先に感じ取ることを心がけています。

何が憑いていようと、何が影響をしているのかを視るよりも、その方自身の心の位置がいまどのような状況にあるのかを大切にしたいからです。

ときには霊的意識に振りまわされて自身の居場所をなくしているようなケースもありますが、ある程度ご本人の気持ちを中心に置きながら霊という存在についてお話しをしていきます。この3次元では、あくまでも人が最優先で生きなければ意味がないからです。
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肉体の無い霊というそれも一般的に不浄仏霊と呼ばれている意識存在は3次元と4次元の時空間にいる「曖昧な状態」でもあります。

私たちは今を生きていかなければなりません。それに対して霊は人としての生命は終えているのですから、本当に帰るべき方向にいかなければなりません。そのための説得と浄霊はおこなっていきます。

誤解がないようにお伝えしますと、決して先人の霊を敬わないということではなく、「霊という意識で」人間界に介入して、人の意識にとり憑き振りまわしているものに対してのお話です。

霊能者はさまざまな霊と精神的に向き合わなければなりませんから「苦しみ」「怨念」「悲しみ」「執着」「憎しみ」「迷い」などの話し合いというよりも、感情や感覚を受け止めていかなければなりません。

ときには自身の気持ちに体温があるとしたら急激にマイナス10度になるようなことすらあります。それを見極めながら注意深く視ていくのです。

最近むかしの映画で「エクソシスト」という恐怖映画の話題があったのですが、神父さんが悪霊がとり憑いた少女の悪魔祓いをするという内容です。

神父の一人は少女に憑いた悪霊を自分の体に乗せて自らの心の意識と戦い、命を落としていく。悪魔を題材にしたハードな内容ですが、自身の意識で感じていかなければならないのは確かです。

映画では極端ですが、悪い魔物と一体にならないように、向き合わなければならないときに必要なことは、相手に取り込まれることがないように、自身の心を信じられて、自らを愛せる心です。人として一番シンプルなことが一番大切なことです。

しあわせひとつは身近なところに常にあるものです。




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by dimension-shin | 2007-12-12 10:04 | 霊的な日常 | Comments(0)

子供たち

知らないお子さんでも、エレベーターでたまたま乗り合わせたり、学校帰りの子に「お帰りなさい」「こんにちは」「気をつけてね」と声をかけると、大概、「こんにちは」「はい」「うん」くらいはお返事をしてきます。


私が小さい頃には、他人のお子さんに声をかける大人も多かったけれど、いまはそういう「声かけ」が本当に少ないと感じる。少子化も何も関係なくもっと暖かい社会でなければと思います。


もちろん怪しくない程度の会話でなければなりませんし、お子さんにも「知らない人について行ってはいけない」ことは教育して行かなければなりませんが、愛する気持ちは誰の子も関係なく見守ることを大事にされたいですね。


ゆとりと大愛も精神世界の進化ではないでしょうか。

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by dimension-shin | 2007-12-11 11:24 | Comments(0)

魂の成長


魂の世界を受け入れている方は、ご承知だと思いますが、魂や霊体の世界では、悩むというような感情の世界からは切り離されています。一部思いのつながりは存在しますが、人としての感傷的なことではなく、「何が必要で、そして何が不必要か」を冷静な見解をもつ次元です。


魂や霊界の次元は、人間の世界とは違い一人ずつ生きるという観念ではなく、意識世界で同じ性質をもつものが集まります。

人の世界でも、同じ考え方や趣味が合う人同士がつながりますが、同時に考え方も異なる人やシステムすべてが社会で好むと好まざるとに関わらず、同じ3次元に生きて、意見を戦わせたり、さまざま情報や思惑が錯綜する社会や、日々の生活の中で考え、悩みながら、人としての成長を果たしていきます。
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何故、人としての生命を受けて生まれてこなければならないかというと、人間の世界では規制もあれば人と向かい合いコミュニケーションをとりながら、自分が悩む問題もたくさん与えられますが、魂の世界では同じ仲間同士なので悩むことはないのです。

魂や霊界に入っていきますと、一個体の自分は存在をしなくなるからで、全体がお互いをかばいあうように守られ、感性が同じですから苦しむことはありません。

その代わりに刺激を受けることがないようなもので、成長が遅いので短期間ではあるものの人間界や3次元の世界に生まれ出てくることになります。

けれども新しい成長は人として生まれて人生を終えて自身のいた霊界から魂の世界に戻ったときに3次元でしか得ることの出来ない「貴重な体験と試練をこえて」もどることになります。

その経験が一つの叡智として魂に吸収されていくのです。ボールに例えるなら、生まれる前の魂の大きさが手に持てるほどであったとしたら、人生の試練を終えて戻るときには、しあわせも詰めこんだボールの中に、体ごと入ってしまえるほどに大きく魂が成長して戻っていくようなことです。


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by dimension-shin | 2007-12-10 10:45 | 精神世界 | Comments(2)