霊能者 スピリチュアルカウンセラー加藤眞澄のブログ

by dimension-shin

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内面と外面


人は目に見える部分にどうしても頼りがちにもなります。見ることにより安心できるものですが、それと同時に自分の中に、「心や第六感」のように目にすることができない存在とも同居して生きています。

そのため目に見える進化が進んでいくと、コンピューターが答えをすぐに出してくれます。

つらく心を傷めるようなことにぶつかっても、考える時間よりも、簡単に携帯で友人と話が出来てしまう。
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もしそれがなかったとしたらどうでしょうか?今あるものから離れて考えることは難しいと思いますが、それ程に外面的には便利な進化を遂げているということです。

心を傷めて思い悩む時間は短縮されて人とのコミュニケーションが瞬時に取れる時代になってきました。

ただその反面で本来感じられていかなければならない人の、心が「自由」を失ってしまうことにもなるのです。

いま霊的現象で、霊の姿を視る、声が聴こえる、自分のこころの中に別の感覚意識を感じてしまう人も増えています。

精神的な感性が研ぎ澄まされてくると、霊的な存在を肌身で感じ取ってしまう時期でもあります。

進化のプロセスとして物質進化の次は精神的な進化が必要ですから、表面的な価値観から内面的な価値観に移行されてくるために、今までに視えなかったもの感じとられなかった存在が身近になってくることになります。


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by dimension-shin | 2008-04-29 09:40 | 精神世界 | Comments(1)
霊といわれる存在を視えたり感じたりする人も多くいます。

見えなくても聴こえなくても、人の感性や意識の中に入ってくることもあります。

その中でも生きることを助けてくれる、あるいはその人の人生を影ながら守っていくために守護の意識が働きかけてくることもあります。(善き働きかけをしてくれる存在)

けれども逆に、人の意識の中にその人以外の守護とは異なった、霊の意識が入り込むこともあるということです。

通常はそれが良いか悪いか自分自身の考え方と、心の中で振り分けて判断できる状態ですが、あまりにも霊的な意識が強く、幾重にも連なっているような場合には、人の感覚が気づかないうちに徐々に取り込まれて感覚意識が、自分なのか自分ではないのかが上手に判断できなくなることもあります。

はじめのうちはなんとなく変だなと違和感を感じることも多いのですが、意識が捉われてしまうと、人の気持ちが奥底に閉じ込められてしまったようになってしまい、内面の自分自身の気持ちが身動き取りにくくなり、まるで自分ではない「何か」に意識を使われてしまうような現象も現れてしまうこともあります。
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自分の体も心も魂も自分のもので自分自身でなければならないはずですが、その支配権をまるで誰かにコントロールされてしまったような感覚が出てくることもあるのです。

よく霊的な現象を起こされて、自分ではない自分の中の意識に悩まされてしまうケースがありますが、これは俗に霊に憑かれたともいわれます。

ここで「霊とかお化け」とか言われている不浄仏霊のことをご説明しますと、人は体を失い物質的には「死」を迎えたことになり、肉体は無くなり霊体の存在になりますが、通常は多くの場合、しばらくしていくと霊体も肉体と共にいたころの感覚としがらみから開放されて、いわゆる霊界に戻っていくことになります。

けれども何らかの理由で生きているときの「思い」が強く残り、肉体が終わったことに気付かないでいたり、気付いてはいても「思い」があり過ぎるがために、この世に「意識が強く残る」こともあります。

もちろんそれにはそれ相応の理由があってのことではあります、「悲しみ」「恨み」「苦しみ」「恐怖感」「裏切り」「執着心」などなど、心の悲哀が幾つもいくつも重なり「霊体と意識が強くこの世に残ってしまうのです。

そういう霊に影響されて長いこと続いてしまうと、人も霊も幸せなことではないですし、いつまでも何処にいてこれからどうしたら良いのかもわからなくなってしまうこともあります。

そういう意識に入りこまれてしまうと人は落ち込んでしまったり、自分自身の感覚が鈍くマヒしているようになり、自分の前に自分でない意識が立ちふさがってしまうこともあります。

霊という存在は私たちよりももちろん過去には人として生きて、しかし確実に「存在していた」。過去においては人です。
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けれども亡くなってから、思いの意識を残し続けてこの世に残った時点から人間ではありません。しかも霊界にもいかず、霊体にもなりきれていませんから意識が彷徨ってしまうことになります。

思いの残ったままの意識が、現在を生きている人の意識に影響されてくると時間の感覚にズレが生じてくることもあるのです。

霊といわれる意識存在は、亡くなった時点から時間が止まってしまった状態でもあるのですから、過去になくなったときの状態、時間の空間のまま、あまり動いていないようなものです。

人間世界でも、例えば5年前に嫌なことがあって、そのことを思い出すときに過去の時間に戻ってしまったような独特の感覚があるようなことです

話は少しそれますが、霊的な影響を受けやすいある女性が、「自分は霊的な影響を受けてしまうと、自分自身の過去のあった嫌なことばかり思い出してしまい、何時間もそのことを思い出して、何時間も捉われてしまうのがわかるのです」「過去のせいにしてしまったり、人のせいにしてしまうことから気持ちが抜けられなくなったりします」

と話して来た人がいますが、強弱はあるもののこのような傾向はあるものです。

けれど人は誰もがいろいろな記憶を持っていますから、マイナスな出来事も、楽しいプラスな出来事も経験しています。

ただどこまで自分を責め続けるのか、あるいは過去の出来事を払拭しようとするのか、前向きに考えようとするのか、自分以外の意識と向き合い自身の心の主導権を取り戻していくのかが、一つの課題でもあります。

ときによって自分との戦いでもあります

そういう影響を受ける人が悪いのでもありません

そこに居座る意識の霊たちが悪いのでもありません

苦しみや恐怖が長すぎてしまったのです

不安に苛まれてしまうために、人を責めてしまう

自分の存在を見出したいためにも人をせめてしまうこともあります
霊的なお仕事していると、過去の戦国時代の状況や因縁が出てくることもいまだにあります。

そろそろ古き出来事の因縁が断ち切れてくる時代ではありますが、今しばらく残っています。

けれどもこのままでは不幸なことがリンクしていくことは避けていかなければなりませんから、お互いに出来ることを模索していかなければならないのではないでしょうか。

時間が気になったり、昼も夜も関係なくなったりさまざまですが、ひどくなるとおよそ通常の感覚意識が当てはまらないことにもなります。

そしていま人の社会は精神的に大きく変わろうとしていますし、霊的な世界そのものも変化しています。霊界にいかれない「思いの意識が強く残る霊たちの世界でも」おそらくその変化を感じ取ることはできているはずです。

供養されていかなければならないことは片付けていかなければならないですし、浄化されていかなければなりません。

そして同時にそういう影響を受けてしまわれた方ご自身も、ご自分の状態に気付いていかれることも大切なことです。霊であろうと人であろうと自身の意識と体(肉体も霊体も)であることが真理につながります。






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by dimension-shin | 2008-04-24 14:12 | 精神世界 | Comments(1)
タイトルのとおり特別なことで悩んでいるわけではないけれど、不安になったり落ち着かないようなイライラ感などが突き上げてくる状態で疲れてしまう方がいます。

もちろん多少のきっかけはあるにしても、「手が痛いから何か病気かしら」
「子供が熱を出してカゼだといわれた」
「主人が夕ご飯をおいしいといってくれないから」というくらいのことでものすごく悩んでしまったり不安になったりする人がいます。
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ご自分でもなんでもないことに不安を感じてしまうということです。

平和だからその程度で不安を感じるのとはちょっと違う気がします。

いま人間世界の動きが徐々に変化をおこしはじめていますから、精神的な世界、心であるとかスピリチュアルな世界感が向上し高まってきているのです。

そのために自分自身の長所も短所も今まで以上に表面化されてくることにもなってくるのです。
しっかり自身のこころや魂と向き合っていかなければならない時代になってきます。

些細なことがとても大きく感じとれてしまいますから、なるべく良いことだけを大きく感じとられる方向を見出していくことが大切です。良くないことは思いからなるべく手放して手放して・・・・・・・

ご自分だけではなく全体がそういう空間の空気が変化してくるようなものですが、感覚が鋭い方が事前に察知されやすいと思います。







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by dimension-shin | 2008-04-23 22:46 | 精神世界 | Comments(2)

霊とは

霊が存在するのか、しないものかといまだに悩んでいる方もおられます。

実際に感じとることができる人や視たことがある人にとってはいるとしか言えない世界でもありますけれど、信じる信じないということよりも、まず私たちの体は3次元の物質的な存在です。

しかし思うこと心が感じることは3次元ではありません。

a0097419_11103565.jpg体が外面だとすると、こころは内面です。

形に表すことのできない世界でもあります。

目をつぶってみても、いま自分の体が無くなっても、自分の意識は残ります。

けれども通常は自身が「死んだこと」に気づくか受け入れていくことで帰るべきところ、(霊界と狂言されています)に移行していきます。

「霊」」といわれている存在は体が無くなっても、この世へ執着が強かったり思いの意識が強い場合にはこの世に意識だけがのこってしまうことになります。体はない、死も受け入れられない、自分の思いが強すぎるために思いの世界を彷徨うことになるのです。

自分が亡くなったことに対して受け入れることに時間がかかる場合もあるというだけです。過去の時代の戦いや思い入れの強かった意識が「霊」として存在することが多かったのです。



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by dimension-shin | 2008-04-20 11:10 | 霊現象 | Comments(0)
「神の魂、神の心」は本来すべての人の魂に組み込まれているのにもかかわらず、あまりにも社会や時代にふりまわされてしまっています。

流行やマスコミやプロパガンダ(思想の宣伝)に物質的なことだけが魅力的に見せられ、動かされていることも多い世の中です。

宗教や精神世界に心をゆだねていこうとする人に不信をもたれ、精神世界を名乗る側も不信を与えてしまう行動になっていることもあります。(惑わされる)

まだまだ相次いで奇怪な事件、事故が多発してくる時代です。精神世界に変化してくる時代ですから、政治家の言葉ではないけれど美しい国にしていくためには、大掛かりな大掃除(禊)がなされてくるのです。

善悪の振り分けが行われてきています。a0097419_1145019.jpg

この振り分けは、誰がとか神が強制的に行っているというのではなく、もっと超越された宇宙の真理(精神世界)が働いています。

人の進化において(地球全体の進化と言ってもいいでしょうが)、この次の段階では、精神的な進化がなされていかなければ、人も地球も破滅へ向かうからです。

そのために意識世界では善悪の流れの波が激しく動き出していますから、巻き込まれやすくもなります。
心の中に、「やさしさ、思いやり、感謝、憂い、毅然さ」が満たされていないと、非常にいままで以上の身勝手な行動に振りまわされる可能性が大きいのです。

「凛として」守られなければなりません。

悪の洗い出しが始まってきたからには、出る悪を追いやれる力を持つ「善」の働きが必要となりますから、「善」の目覚めにたいして遠慮することなく、気持ちを引くことなく進んでいかなければなりません。

まだ悪に対する不安と恐れ、私利私欲という名の権力に魅力を感じたり、身をゆだねようとする気持ちをすくい取られてしまうこともあるでしょうが、確実にこの実体のない精神世界の真理と意識は「正」なる「善」をあふれるパワーで力づけてくれます。

「悪ばかりが目立つのは勢いとして目立つというだけで、「善」のパワーが確実に洗い出しをしていくために見えないところで大掃除をはじめています。

物質が主体の世の中から、心が主体の世の中に動きが変わってきています。

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by dimension-shin | 2008-04-20 11:05 | 精神世界 | Comments(1)

神は願いごとを叶えない



祈ることはとても大切だけれど
ゆだねることも、ときには必要だけれど
神様に人生をコントロールしてもらうのではありません

神という存在は確実に「ある」と思います。
けれども何かを願って、そして単純に願いごとを叶えてくれるような存在ではないのです。

過去に神に願って叶ったということがあれば、それはご自身が神社などにいかれて、ご神殿や整えられた聖域の気の流れもよい場所で、願いに集中することにより自らの高次元の意識(神)が目覚めたことにもなります。

神に祈り願う気持ちを聞き入れてくれるのは神社であっても、叶えてくれるのは自身の気持ちの変化と、自らの神性に気づきが生じてきたためなのです。

神を否定するためにこのようなことをお伝えしているのではなく、むしろ神を信じるためにでもあります。
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信じるというのは自分と違う神の存在を見出すというのではなく、自分の中の神性を見極めていかれるべきことを伝えたいと願ってのことです。

それは古来の神道を守り続けた日本という国の役目でもあると考えます。

祀りごとにこだわる必要はないと思います。しかし大切に守られてきた先人のつくり上げた神社、仏閣、導き、祝詞、経典は少なくとも我々にいたるまで先人や先祖の大いなる支えであり、この世界と見えない世界をつなげていくための窓口ともなって、人の精神がバランスを失わないように上手に美しく現実界に同化されてきた存在です。

こだわることがないと申し上げたのは、祀りごとに捉われすぎて朝も手を合わせたから、夜も合わせなければ明日はどうしようと言うようにこだわりすぎて信仰に振りまわされてしまうのは精神的にも不健康ではないでしょうか。

霊の世界もある、神の世界もある、何より自分の心が常にそこへ霊界にも神界にもリンクしているということが、たいせつなことで宗教の構えよりも、「こころの構え」が先行しなければ意味がないのです。
常に何次元にもリンクできる意識の柔軟性が重要になってくる時代でもあります。

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by dimension-shin | 2008-04-15 09:45 | Comments(2)

不登校でもいろいろです


中学生の娘さんが、徐々にご家族と話をしなくなり、部屋にこもることが多くなっていたら、そのうちに学校にも行かなくなり、不登校の状態が続いているということで母親がご相談にこられたのです。
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原因のひとつにご主人が一年前に亡くなっておられるといこともありましたが、一度娘さんにお会いすることにして自宅に伺いました。

まだあどけなさの残る可愛いらしいお嬢さんでしたが、うなずいたりはするのですが、話をしません。

霊査して視ていきますと、お嬢さんの心の重みをかんじます。父親を亡くされた悲しみも感じます。

もうひとつには亡くなられた父親の、可愛いお子さんを残していくことの辛さ悲しみ、心配をも同時に感じとられました。

お子さんの意識と父親の意識が連動してしまっているのでした。

霊的に説得して何度かお目にかかりながら、お嬢さんの意識とお父様の意識を振り分けて、なくなられても見守ることができるここと、ご一緒におられる気持ちはいつも共にいられることを理解されていくことで、お嬢さんも徐々にお話ができるようになってきました。

学校も行けるようになり一安心することができました。


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by dimension-shin | 2008-04-10 11:00 | 霊現象 | Comments(1)
心の世界は内面です
現実、私たちの社会は難しい問題に溢れかえっています。

神様に祈りこんで助けてもらえばよいというだけの時代でもありませんから、一人ひとりのこころが主体で社会が動いていくべき流れになってくると思います。

いままでが、成果主義 「勝ち組、負け組み」 というそれこそ差別意識がただ金銭的な事柄中心で進んできた結果、「お金持ちが正しいんだ」 という風潮が強くなってしまい、欲が引き起こした犯罪、人生の逃げ場とするような無責任な自殺、我欲をみたすだけのための事件、小学生の子供さんに将来は?と聞いても「お金儲け!」という答えも出る悲しい時代にもなりました。

夢や希望的なことよりも、我欲重視になってきてしまった進化の方向性を変えていく時期になってきています。
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世の中全体が、豊ではありますが常に次から次に神経がピリピリしている有様で、人としての方向性を見失いがちにもなります。

どうしようもない気持ちを、宗教的に救いを求めていかれる方も多くおられるでしょう。

精神世界の時代に変化してきますけれども、精神世界というとむずかしく、「宗教のように何かを拝む時代なの?」 と思われがちですけれど、ご自分の心と向きあっていくことだけでいいのです。心の時代というのは心のゆとりを大切にしていくことではないでしょうか。

瞑想とか、内観といわれたりしますが、電車に乗っても、歩いていても、寝る前のほんの5分でもいいですから、誰に合うとかスケジュールはどうかなどを考えないで、ほんの5分だけ自分の心に向きあってみてもよいかもしれませんね。

人のこと、仕事のこと、友人のこと遊ぶこと、いろいろ考えたりするけれど、自分のこころを見直す時間をほんの少しつくってください。
「今日の私の心よ元気? 大丈夫? がんばれ!」 と言ってみるか、思ってみるか・・・・・・・・。
深い呼吸ひとつでも気持ちが休まるかもしれません。

こころは早めにケアをしてあげると回復も早いのですが、こころの持ち主の自分が心を無視して頑張りすぎてしまうこともあります。心と体、どちらも大切です。

美しい魂を持つ人は灰色たちこめる現実世界に心を傷め、それでもゆく道を進もうとする中で、惑わされ見失うことすらあります。どこに心と身を置いてよいかわからない。それは決して弱いからわからないということではありません。

弱い人はいません。自分は誰かより優れたものを持っていますし、心の「美点」が表面にあらわれてくる時代の扉が開き始めようとしています。


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by dimension-shin | 2008-04-06 14:28 | こころ | Comments(2)

井戸のはなし

東北地方のある旧家に嫁がれた女性の話ですが、同居の義父がある日突然、「敷地内にある使っていない、古い井戸を埋める」と急に言いだしたそうで、

ご主人も「まあ、ほとんど今は使っていないのだから仕方がない」と思っていたら、その翌日に義父は砂を運んできて井戸を埋めてしまったとのこと。
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義父さん曰く「井戸を埋めるのに神主さん呼んで清めるか」といったり「お神酒くらいまくか」といってみたりしながら「ま、いいか」とあっけらかんと砂を入れて井戸を埋めてしまわれたそうです。

その翌日からご主人とお嫁さんが、腰は痛い、鼻水が薬を飲んでも止まらない、気分が悪い、トイレばかり行きたくなるなど大変なことになってしまいました。

義父母さんはまったく感じないようですが、息子さんご夫婦は感受性が強いために大変なことになってしまったのでした。

何日もそういう日が続いたとのことでしたから、埋めてしまわれた井戸の「気ぬき」をして清めや土地に縁ある神社に詣でたり、きちんと段取りをしてから、2、3日でおさまっていきました。

古くからあるところを一気に埋めたり掘り返したりすること事態が自然の持つ「気」の流れを変えてしまいます。

ましてここのお家の周辺の土地は過去の歴史にも残っているような城跡や古戦場の近くでもありましたから、単純に人としての合理的な発想と感覚だけでは問題が残ってしまったのです。


       
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by dimension-shin | 2008-04-02 11:49 | 霊現象 | Comments(2)