霊能者 スピリチュアルカウンセラー加藤眞澄のブログ

by dimension-shin

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一族の縁

佐和子は夜中に苦しくて目が覚めてしまった
悪い夢を見ていたことを思い出した

暗闇の中に光ってみたのは大勢の人たちの目だった。
体は見えなかったけど、暗闇に光る何十もの目がみていた。

ギラっとしていたのを目覚めてもはっきり覚えているし
動物ではないことはわかる、明らかに人間の目つきだった。

いつになく大勢の目が怖くなって、
そこから逃げようとして、走ろうとしたらそこで夢の中で転んだ!
「はっ!」とした瞬間に目が覚めた。

佐和子はベッドから起き上がって、
ベッドの脇においてあったペットボトルの水を飲んで落ち着こうとした。

隣のベットで夫の貞夫は何も気づかず、いびきをかいて眠っている

さっきの夢で覚えているのは大勢の目は敵意はあるが襲ってこない、
しかし決して友好的でもない感じだった、

そしてそれが3Dですぐそこにいるかのように
とてもリアルだったからギョッとした。

いつになく大勢の目と感じたのは、
この夢はいままで何度か見てきた。

これまでの夢は今回ほどははっきりしていなかったが
夢を見た当初は「出ていけ」と言われた夢を見ていた。

今はそれはないが、夢の中の暗闇に光る目の住人たちは
決して心を開いていない感じだった。

夢を見はじめたのは貞雄が定年を迎えてすぐ、
だれも住む人のいなくなった貞夫の実家に移り住んでからだから、
半年ほど前からで初めのころすぐに、貞夫に夢のことを話すと

「俺は何も感じない」だけだった。

佐和子はその後も何度も何度も夢の中で
暗闇から光る目を見せられた。
無言でこちらを見ている。
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夢で目だけが光る存在を見ているのは怖いが、
警戒しておそれているのは
夢の中の彼らのほうかもしれないと感じられるようになりはじめた。

朝食のときに、また夢のことを貞夫に話したが
相変わらず「どうしてかわからないことを
俺に言われてもわからないんだ。」といわれた。

それでも夢はその後も続いてそして佐和子が
何度も何度も夢のことを貞夫に話していたら
ある日思い出したことがあると言いはじめた。

貞夫がまだ20歳くらいの若い頃に
親戚のおじいさんから聞いたが、すっかり忘れていたらしい

「昔このあたりは山奥の村ではあったが、
集落の人たちが支えあって生きていた。
そこに戦で落ち延びて逃げてきた一族が村にやってきた。
村人たちはその一族を受け入れることは出来ないからと断ると、
多くの村人がその一族に殺されてしまった。
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一族がここに落ち延びて住みついたことを
知らせに行かれることを畏れたためだ。
女子供や老人たちは何とか命は助けられたが、
一族と共に暮らすことを余儀なくされた。

そういう言い伝えがあることを知っておけよ貞夫」
と聞いていたことを今頃、はっきり思い出したらしい。

「佐和子の見た夢の人たちの目はその霊たちじゃないか?
殺された村の人たちじゃないか? しかし、まさかな・・」

「あなたずいぶん物わかりがいいじゃない!
この前までは信じない知らないと言っていたのに」

「それがな、さっき話した親戚のじいさんの
言葉に続きがあって、
言い伝えがあることを知っておけよ貞夫といわれた後にな」

「うん」
「必ず、知らされてくるときがあるからな、
そのときはきっちりと手厚く霊たちの弔い供養をしてあげるんだぞ!
この家はそのときの一族大将の血筋も入っているんだからな!
いいな貞夫忘れるなよ!貞夫の代にそれを知らされてくるぞ・・」
といわれていたんだ。

「そう、なんだ。 それで私が何度も何度も夢を見て、
あなたに話してやっと思い出してきたのね」
「そうだ、公には伏せてきた昔々の話だな」

「何とか供養していきましょうか。
お寺の和尚さんにこの話をしてみましょうか。
私が夢見てあなたが思い出して、
何とかしなくてはいけなくなったのだから、
きっとわかってもらえると思うわ。

なんだかそれを話し合っているだけで
気持が楽になってきた気がする。
ここに移り住んでからどうしてだか気持が重かったのよずっと・・・・」

「そうか、時間がかかったな、そういう時期がきた縁かもしれないな」

*昔のことだけど、大事なこともあります






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霊能

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by dimension-shin | 2013-03-30 10:54 | 小説的体験談 | Comments(0)

負けずに

感情の波が激しくなり

内側の 自分と
外側の 自分の
バランスを崩す人 ますます増える

高ぶる人は ときに激昂的に
自らを 否定することあり
苦しむだけ
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人にその責をむける人は(人ばかり責めるだけ)
心をおさめることが出来ず
むなしいだけ

人のこころを傷つけることで ゆき場を失う

真我(たましい)を見失うことなきように
そこに気づく「意識」を持つ人は

何事にも安泰

あるがままに


生きてきた結果は
性格がもたらしたものでもあり

それもまた宿命
宿命の中で
どう自分と対峙するか
それが運命を変えてくれます

悪しき思いと善き思いが葛藤して
我が心に打ち克つことも人生のやくわり
負けずに おそれずに





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by dimension-shin | 2013-03-29 10:38 | 霊的な日常 | Comments(0)
お稲荷様は怖いから
お参りをしないほうがよいと思われている方が
以外と多いのですが、俗にいわれるコックリさんとか、
キツネにとり憑かれたという話でおそれてしまうようです。

あるいは「ある能力者に稲荷が憑いているから、
運が悪いんだ!」とか「稲荷には行くな!とか」
いわれてしまうことも多いようですが、
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それほど悪さをするならなぜ稲荷信仰は
存続し続けているのでしょうか?
 悪いと考えるのが不思議です。


稲荷様は穀物や農業の神様として
大切にまつられてきた存在です。
普通にお参りをしていることで問題は発生しません。

大きなところでは伏見稲荷大社、豊川稲荷、
笠間稲荷、など全国にたくさんあります。

普通にお参りをして問題はありません。
稲荷様のお使いがキツネさんであるということが、
独特のしなやかさや感性や見透かされるような
目つきなども人をだますとかいわれてきた
原因のひとつかもしれません。

稲荷神社でも、普通の神社でもお寺でもかわりありません。
お稲荷様の場合にはよく自宅の敷地でも
家の氏神様としてお稲荷様をまつられていることも多いので、
身近な神様でもあります。

より人の生活に近いこともあって
霊的な関わりもしやすい部分もあるのですが、
それがだますとか化けるとかに
つなげてしまうのは違うように思います。

だましたり化けたりするのは
むしろ人の霊が化けていることが多いのです。
なぜなら動物そのものは人の持つ欲得ではないからです。

コックリさんなどでキツネつきになることが
ごくまれにありますが、大概何度も何度も
面白がってやりすぎてしまったことで、

人霊の低級霊(動物霊)にとり憑かれてしまうからです。

また神社の敷地内でそういう遊びをしておかしくなったら、
きちんとお参りをして小さなお酒をお供えしてください。



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by dimension-shin | 2013-03-28 10:47 | 霊的な日常 | Comments(0)

感性が働きすぎると

家族や気心が知れているはずの
親しい人たちと会っていても、

どうしても自分は浮いているかのように、
屈託なく楽しんでいる中にいるのだけれど覚めている。

「嫌いではない、一人でもさみしい・
誰だって押さえて生きていることはあるからがんばろう!
 できたけれど、浮いた自分はひどくさみしく悲しい」

そういう感性を持つ方がいます。
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物質的な肉体と生活はあるけれど、
常に心の自分を感じやすいのです。
自分のわがままだけで生きてきたなら、

さみしいのは当然かもしれませんが、
努力をしても人に合わせようとしても
なんとかこなしながらも、常にしんどい。

特殊な変わった性格ではありませんよ。
人にも自分にも内在しているものを
先に判断してしまう能力です。

そのため表面的な言葉のお世辞よりも
本心を検索?してしまおうとするのです。

その内在検索機能が働きすぎてしまうと、
粗探し(あらさがし)の
方向へ行きすぎてしまいますからそこのところはご用心。

休日にはさわやかと
感じるところへ出かけて回復させてください。

ためこむと霊的な影響を受けやすくなってしまいます。


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by dimension-shin | 2013-03-26 10:38 | 霊的な日常 | Comments(0)
世の中と 比較しすぎてさまよってしまうとき

心の中の素直な やさしさに正直に

人も我が身も 傷つけることなく

思いひとつで 情景もかわっていけます


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by dimension-shin | 2013-03-25 10:41 | こころ | Comments(0)

淡路島の南淡町(なんたんちょう)沖にある沼島(ぬしま)

沼島の海岸線にある奇岩や岩礁の象徴的な存在。「天の御柱」だともいわれています。
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伝説ではイザナギ、イザナミの二神がおのころ島に降り立ちられ、
イザナギが左より、イザナミが右より上立神岩の前にある「ゆるぎバエ」で
夫婦になろうとしたところ、その営みの方法を知らなかったことに気づきました。
するとどこからか二羽のセキレイが舞い降り、
近くの岩にとまり尾をゆさぶっているのを見た男神・女神は夫婦の道を悟り
多くの神々を生み出したという国生み神話は語り伝えられています。

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また江戸時代の百科事典「和漢三才図会」には、
上立神岩は竜宮城の表門にあたるとも書かれているそうです。

そして日本の活断層の中央構造線のライン上にあることでも有名です。

沼島港から歩いて20分ちょっと、岩礁の景色を見ていると
数十分すぐに過ぎてしまう。美しい立岩です。


また日本国を造られたとされるおのころ島の所在地については諸説あり
はっきりしていませんが、淡路島北端の淡路市にある絵島、
南あわじ市榎列(えなみ)のおのころじま神社のあるところ、
あるいは淡路島全体であるという説。

その中で南あわじ市には古くよりおのころ島の地名があり、
二神を祭る「おのころ神社」が存在するため沼島とする説も強いです。

沼島のおのころ神社
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沼島へのアクセス
沼島汽船:0799-57-0008
洲本港→沼島漁港(52分)/土生(はぶ)港→沼島漁港(10分)
・本数が少ないので往復の時間を決めて置かれたほうが良いです
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淡路島観光ナビ
http://www.awaji-navi.jp/about_awaji.php




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スピリチュアル
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by dimension-shin | 2013-03-24 10:04 | 神社 お寺 | Comments(0)

守護霊と話ができたら

「守護霊と話しができるのはいいですね」と
言われることがありますが、守護霊はすべて
話をして教えてくれるわけではありません。

断片的に必要なことを伝えてくれるので、
言葉で感じることや情景を
一瞬教えてくれたりすることをつなげていくことがほとんどです。

守護霊と話がしたいと思う方も多いですが、
守護霊と話ができたらすべてを守護霊に聞いて頼りきってしまうかもしれません
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そのために守護は見えない影で支えてくれています。
そして日々様々なヒントは与えてくれますが、
人はそれらすべてを実行することはなかなかできません。

目には見えないけれど
確実に存在している空気のようにつぎつぎにあらわれています。
そして気持ちをかたむけていると、何気ない人の言葉の
良き一言や本の一文であったり、

ぼんやりしているときに一瞬浮かんでくることだったり、
これまで考えていなかった発想やヒントが思い浮かんでくることも、
意識世界の高いところとのつながりで守護が導いています。

これらに出会える機会が増えるためには、
なるべくリラックして、身も心も力をいれないでいることが重要です。

欲張っているときにはヒントにも気がつかないで通り過ぎてしまうからです。
自分はダメだと思っているときにも同様です。

下ばかり向かないで
良き言葉の気になる出会いが重なってきたときには、
疑わないで受け入れることも大事です。
疑いすぎもヒントは逃げてしまいます。
幸せな心を失わないように。






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霊的

スピリチュアル
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by dimension-shin | 2013-03-22 09:48 | 霊的な日常 | Comments(0)

自分の霊と向き合う

怪奇現象でもなく霊的現象でもない
けれども心の内部で振動しているような

奥深くに潜んでいた「何か」が表にでたがっているような

表の自分と裏側の自分の心が
反転してくるような感じではないでしょうか
物質的な生き方から精神的な生き方へだんだんと移行しています
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以前のようにバブルではないですから当然かもしれませんが、
ブランドや流行ものに魅力を感じなくなる方も増えています。

もちろんいいものはいいですが、止めどなく買うのではなく
足るを知る(満足する)精神に落ち着いてきています

精神の向上進化は表の輝きから、内側の輝きへと意識が向けられ始めています
そのために癒しやパワースポットが異常なまでに必要とされ始めています

よいことではありますが、気持ちがそういうところへ
向かい始めたということは、内面の良きものも悪しきものも表にでてきます。

自分でさえ自分を隠すことのできない本性と向き合ってしまう。

自分の目の前に、とてもよく磨かれた何でもはっきり映しだす鏡が
目の前にあるようなものです。

そのために悪いことをする人間は
悪さしか写らない自分と対峙するすることなく欲だけをおしとおす

自分に苦しみを感じるときには必死に自分の表面の欲との葛藤をしています
微笑みが出る方は葛藤をぬけてあるがままの状態を受け入れてきています

そういう前後に問題が大きく膨らんできたり
思考感覚がずれてきている場合には、
自分と鏡の間に介入してくる自分以外の霊が存在していることもあります。

邪魔に入ってくるよりも霊たちの意識も引き寄せられてきてしまうこともあります
あまり続くようなら浄化していかなければなりません

内面の自分のほうが真実なのに、
欲とほこりにまみれた表面をひっくり返すのは一苦労です。
大丈夫自分を信じて





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暗い
変化
霊能
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by dimension-shin | 2013-03-21 11:37 | 精神世界 | Comments(0)
この次には何がある
怖いから進めない
きりなく負の想像は
創りだしてしまいます

例えば注射が「痛い怖い」と
創造ばかりしていたら
本当の痛み以上に
痛くなってしまうものです

たくさんの支えと愛情と努力で
いまここにいます
たくさん登ってきた人生

ちょっと振り返ると長~い道ができています
懐かしさと反省と
もどれない道でもあります

だからこそ未来をつくるのはいまからこれから
次に何があるかとこわがるよりも
次に出会うしあわせに心を開いて

生きてきたことが次へのつながり
下を見ていては人の笑顔に出会えません
自分の笑顔もみせられませんね

おそれずに
世の中にそぐわないと感じている方も多いけれど

多くの人たちは世の中に合わせようともがんばっています
魂の使命はそれぞれ
さてつぎの明日へすすみましょうか


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by dimension-shin | 2013-03-19 08:33 | 霊的な日常 | Comments(0)

たとえ毎日同じでも

たとえ毎日同じでも

通いなれた同じ道でも

今日の景色の違い

天気 通る人 咲く花 緑

今日も会う人たち
 
心もようもかわります

傷つくところを探すより

小さくても喜びさがしをたいせつに



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こころ
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by dimension-shin | 2013-03-18 08:37 | こころ | Comments(0)