霊能者 スピリチュアルカウンセラー加藤眞澄のブログ

by dimension-shin

お札

 年に一度初詣に行かれ心身を清めて過ぎた年に感謝し新たな年の息災を願いおまいりされる方も多いと思います。

その際に前年までの古いお札やお守りなどを返されて、新たなお札をいただいてきますが、きちんと毎年ご自分でなさる方には当たり前のことでもあります。

a0097419_23364870.jpg

 何件かのお宅に仕事で伺い、神棚を拝見したときに古いお札がそのまま何枚も重ねておいてあったり、神棚に人形や置物を一緒におかれていたり、それもホコリまみれの神棚であったこともあります。

 家の守りとして「神気」をいただくためにお祀りされる神棚ですから、お札は一年の気を吸い取ってくれたものですから、新しいお札に変えていかなければなりません。できる限り自らおまいりに出かけていただいてくることが大切です。


 地方にもよりますが、地区で毎年何枚かお札が配られてくるので、断るわけにもいかずどうしてよいかわからないという方もいました。


他の神社のお札をお祀りしているので、これ以上お札が沢山あってもいいのか?と悩んでいる方もおられました。


もしご自身が納得できず、しかし地域のお付き合い上どうしても返すことが出来ない、でもこれ以上は祀れないのであれば、きちんと半紙などにくるまれて新年のお焚きあげまで収めて置かれたほうがよいでしょう。 

すべて神棚をおすすめしているのではありませんが、もしお祀りされるからにはある程度はきちんとなされるべきだと考えています。

そこへ気持ちが集中されてくると、ご自身の精神的な意識が神気とのつながりを感じさせてくれる場所にもなります。

折角りっぱな神棚でも、整備されていないためにかえってマイナス要因となっているケースもありました。

何年も掃除もしていない、お札も取り替えないようなら無い方がましです。

それこそしあわせが逃げてしまいます。


                          加藤眞澄HPへ
[PR]
# by dimension-shin | 2007-04-04 10:54 | 霊的な日常 | Comments(0)

お守り


  お守りといえばまず、神社等のお守りが浮かんでくることでしょう。
精神的にもとても負担が大きくなっているときにお守りのお世話になることが多いと思います。

苦しいときの神頼みとは実に的を射ている表現で、大変なときにはお守りを持たれることもあると思います。

けれどもし事がかなわなかったときに「やはり神などいないし、信じない!」と思う気持ちにもなります。

 この世にはかなうことと、かなわないことがあるのだと自分が納得できるまでにさまざまな状況が何度も繰り返し起こりますが、自身の気持ちの拠り所として、お守りという存在に託して神という高い精神性を持つ意識とつながりを持って、身につける一つの手段として、お守りは持つ人にパワーを与えてくれるのです。 


 例えば大切な人が危険なところに行かなければならないとしたら、お守りを渡すことも多いはずです。

そのときに渡すお守りは神社のものでも、あるいは手作りの子袋だとしても、無事を願う思いやりの込められたつながりをお守りというものに託しているのです。

そしてそれを受け取り、肌身離さず大切に受け取る側との精神的なつながりが生み出され「力」をより与えてくれることになります。


 人は自分の中に高い精神性があるにもかかわらず、何か追い込まれてくると絶対に大丈夫だとはなかなか思えないもので、自分でいながら真の自分が見えない不安をお守り等に気持ちをゆだね心を置き、精神的なレベルを高めるためでもあります。


 いろいろなところのお守りを山のように買ったり貰ったりすることよりも、大切な家族や愛する人のくれた心のこもったものが、あなたのお守りになったりします。たとえそれが安いペンダントだったとしても、窮地に追い込まれたときにそれを握りしめて問題の解決を祈ることも可能です。

 高価だからといって効き目があるわけではありません。信頼により自分の心が集中できて、気持ちに力を与えてくれたり、やすらいだりできることが第一なのですから。

 不安なときにはなお守りが自身の霊的な存在とのつながりの架け橋ともなって心のしあわせをくれます。                        



                        加藤眞澄
[PR]
# by dimension-shin | 2007-04-03 22:01 | 霊的な日常 | Comments(0)

ねこ


a0097419_2383463.jpg


a0097419_2392710.jpg



     
[PR]
# by dimension-shin | 2007-04-03 00:04 | Comments(0)

   若いときには特に怖いもの見たさと好奇心から、心霊スポットと呼ばれる場所に行きたくなる気持ちもわからないではありませんが、マイナス要素の強いところでもあります。

 本当に目撃されることが多い場所も確かにありますが、霊やお化けと言われている存在でも、元々は人として生きた存在です。

思いの意識が強い世界に留まってしまった 「今は亡き過去の人たち」でもあります。生きていた当時の感覚が強いために、昔の姿で現れてきています。

意識の存在ですから、昔に亡くなったにせよ、何らかの執着を残すがために、亡くなっても人間界に近いところにいるのです。

 わざわざ出かけて霊的な影響を受けてしまう人も何人もみてきました。

心霊スポットに行って、感受性の強い人はとり憑かれたり意識にのってこられる状態です。苦しくなるとか、不安定な状態になるなどさまざまです。
a0097419_013394.jpg
怖いと感じるのなら、自身を守るための警告でもありますから、勇気を持って近づくことをやめるほうが懸命ですよ。

最近は電気のおかげで、夜も明るく怖いものなしになっているのでしょうか。

 それでもどうしても行きたいというのならば、霊がいることを前提に行きたいと思うわけですから、「お化け」でも先人の霊を面白がって見学に行ったのならば、近くのお寺に行きお線香を焚くなり、神社へお参りするなりするべきです。

神社やお寺に違和感があるのなら、霊体になりきれない意識の存在に対して、心で手を合わせるくらいの心構えが必要です。 

救いを求めて近寄る霊(意識)もいるかも知れません。または茶化してくる霊(意識)もあります。

わざわざ出かけて、もし「霊」のおみやげを乗せて帰るのだとしたら、あなたに救いを求めているのかもしれませんから、きちんとご供養をしてあげて共にしあわせに導かれることです。 
               

              加藤ますみHPへ
[PR]
# by dimension-shin | 2007-04-02 20:39 | 霊的な日常 | Comments(0)

春といえば

 桜が咲いたと聞くとやはりじっとはしていられません。とにかく毎年近くてもお花見にでかけていきます。

今年は何年ぶりかで上野公園にでかけました。春休みでもありますから親子づれも多くにぎやかで、うきうきします。

ほぼ満開の年に一度の美しい桜並木を散策できました。咲き誇る桜もきれいですが、さみしげで好きではないという友人もいるけれど、個人的には桜吹雪が舞う並木をゆくのが一番の醍醐味でないかとおもっています。

 
a0097419_16465446.jpg


 毎年思うのですが、夜桜の鑑賞?○○会社と書かれたりの宴会用の場所とりが早々に広範囲にわたり杭打ちにロープ張り、ブルーシートのガムテープ貼りで、夜まで誰もいないか一人くらいがただ座っているかです。

一番誰もがその場所で「しばしたたずんで桜を眺めたいような」、良い場所ばかりです。 
 
 お花見宴会が好きなのも日本の粋だと思いますし邪魔をするつもりもありませんが、

提案なのですが、夜までほとんど宴会は行われないところも多いのですから、

○○会社は何時から使用しますから、ご自由に靴を脱いでシートへお入りください。

などと書かれてあったら粋ですよね。

常々思っていたら、ほんとにそんな会社が増えてきているようです。                  
 とてもしあわせ感の共有ができるのではないでしょうか・・・・・。
 a0097419_1763240.jpg                    
 
[PR]
# by dimension-shin | 2007-04-01 17:12 | Comments(2)

霊的ガイドはいます


 生まれつき「運」が強いとか弱いとか言われるように、数ある過去世から未来へつながるための経過途中でこの時代に生まれて、宿命の違いはありますが自身の使命(ミッション)をえらんできたのです。

 その宿命の枠の中の人生を、どのように自分が支え、努力して乗り越えて生き抜いていくのかが生きる意味でもあります。
a0097419_02563.jpg

 どのような境遇に育つかは異なりますが、似たような境遇の人もいます。

それでもその状況に対しての選択肢はそれぞれ異なりますし、どの方向にいくかは心の動きでもあります。

 そのときに霊的ガイド(守護霊)はこうしたらよいのだということの意識のアドバイスはしています。

その働きかけに気持ちを動かされ導かれるかどうかは、自身の感性がどの位置にいるのかで受け取り方が微妙に変わってきます。

 守護というのは必ず引き上げてくれて、強運を授けてくれるという神頼み的な存在ではありません。

常に働きかけはしていますが、ご本人が下ばかり見ているようでは守りにも限界があります。

できる努力は惜しむことがないように、後を(過去)振り返る時間をなるべく最小限にしていくことが大切です。

そうでなければ守護霊がいくら導こうとしても自分が心を閉ざしていたのではどうにもならないのです。

 守護を霊的ガイドとして、あくまでも案内役ですから意識下で必要なアドバイスはくれますが、決断するのは守護ガイドではなくて人間本人なのです。

けれども気持ちが落ち込んでいるときにも、これ以上ご本人が傷つくことがないように守護は働きかけています。そしてしあわせを願って導いています。 




 
                           加藤眞澄
[PR]
# by dimension-shin | 2007-04-01 15:27 | 霊的な日常 | Comments(0)

人生のテーマ

 どれほど食べるものやお金があり、生活に不自由しなくても、その上健康でいられても、それでも悩みがないと言いきれる方は少ないです。

 満足しても次にはそれなりの試練や、もしくは責任がかかってきます。責任とは人より豊になったことの維持と還元でもあります。そうしないとしあわせはまた過ぎ去ってしまいます。


物質的には人の役に立つことへの仕事で還元されることもありますし、ボランティア活動もそうです。企業なら事業展開で利益を生み出し、社会に還元していくことかもしれません。
a0097419_2142026.jpg

個人個人はそれぞれ生まれ持った宿命が違います。お互いに違う宿命があるからこそ、意見の食い違いや葛藤が生じます。

そこからお互いを理解していくために付き合い方を模索していきますから、気が合わない相手でも、やむを得ずつきあうためには妥協できる部分をなんとか見出そうと努力します。

出会いたくない、付き合いたくない人はいるものです。

苦痛でもしばらく仕事をしなければいけないことにもなるわけですが、自分が苦手な人と接していくうちになんとかうまく対応できるようになってくるものです。

日常のさまざまな局面で、誰の元にも「人生のテーマ」が与えられてきます。

もっと大きく人生全体の流れを捉えてみると、「人生のテーマ」が軸となって生涯に大きな影響をもたらしています。

 例えば商店を経営している家の跡継ぎに生まれ否応なく(最終的には本人の意思ですが)、跡を継ぐことになったり、または家になじめず親子関係がうまくいかずに悩んで早くから実家を離れて暮らしていく人もいたり。


 人生の基本的なテーマは変えることはできませんが、けれどもその環境に反発もするし、自身が置かれた立場や状況にうろたえて、精神的な壁に自身が囲まれてしまいます。


 このようなときに人間的な自分が人として存在している、状況だけに縛られて苦しむのではなく、精神的な存在・霊的存在である自分が支える力にもなっていることを忘れないでください。

「そんなことは思い出すこともできないし、記憶もない」かもしれませんが、人は前世、過去世や過去の時間の構築があってこそ、その存在が成り立ってきています。

大切なことは人や自分を傷つけてその場を切り抜けようとすることよりも、どう切り抜けていけばできる限り後悔のない、自身の存在する流れを未来につなげ、育んでいくことができるかをポイントに置いて、最終的な人生のテーマはしあわせな心を育むことでもあります。



                加藤眞澄ホームページへ
[PR]
# by dimension-shin | 2007-03-28 11:53 | 霊的な日常 | Comments(0)